ぎふベジ


岐阜市園芸振興会 ほうれんそう部会永田 敏郎 会長のお話(2024年12月取材)

今や年間を通してスーパーの売り場に並ぶほうれんそうですが、露地栽培ものの旬は初冬から春にかけて。霜が下りる12月の初冬、島地区の永田敏郎さんの圃場も収穫の最盛期です。濃い緑色をしたほうれんそうの葉が、畑の土を覆いつくさんばかりに元気いっぱい茂っていました。

「島地区はほうれんそう作りが盛んな地域で、ほうれんそう部会には同じ地域の仲間が80人ほどいます。部会では“共選”と言って出荷規格を統一してJAを通して市場に出しているので、見た目、味わいとも品質にバラつきがないんです。だから消費者の方々に安心して買っていただけるし、作り手の我々も収穫した分は販売してもらえるのでありがたいですね。」

飄々とした雰囲気をかもし出しつつ、言葉の端々に知性がにじむ永田さん。東京の理工系大学を卒業後、愛知県の大手自動車部品メーカーに就職し、開発や設計の部署で活躍していた30代。西中島で農業を営んでいたご両親がそれぞれ60歳手前で亡くなったことを機に、40歳で脱サラして専業農家になりました。

「残された祖母が一人では農業なんてできませんから、おふくろが亡くなった35歳の頃、生まれ育った岐阜市に戻りました。妻がもともと家庭菜園が好きで、抵抗なく農業を手伝ってくれたので助かりましたね。それで5年ほど兼業していたんですが、会社ではキャリア的に転勤の声がかかる年齢に差し掛かってきました。私が遠方へ行ってしまったら、畑はもちろん祖母や3人の子どもの世話を妻だけでは到底できませんので、妻に相談してこの道でやっていこうと決めました。」
永田さんの圃場は露地が6反(=約6,000㎡)とハウス施設が2反(=約2,000㎡)と、なかなかの規模。
「幼い頃から手伝ってきた家業なので、転職することには何の抵抗もなかったですね。考えてみれば農地はあるし、耕作機も一通り揃っている。近所には農業をやっている同級生がいて仲間もあり、わからないことがあれば県の農業普及員に聞けばいいわけです。だから不安はなかったですね。健康でありさえすれば、やっていけるだろうという見込みがありました。」

永田さんはハウスで2月から枝豆を栽培し、5月にその収穫を終えると、夏の間は小松菜を生育させています。同時に露地では8月いっぱいまで枝豆を作り、10月からほうれんそうの播種を始めるのだとか。
「農業はお天気都合なところがあります。雨や雪が降ると収穫できなくなるし、天気が良くて豊作なら、それはそれで多忙を極めてしまう。だからお天気に左右されず、収穫をある程度コントロールできないかと考えたんです。露地が収穫できないときでも、ハウスものがあれば毎日出荷できて収入が得られる、そういう風にしてやってきました。」

固定給があった会社勤め経験者だからこそ、永田さんは出荷すれば日々収入が得られる農業に面白みを見いだします。
「ハウス内の温度や水の管理もそうですが、機械でできるところは機械に任せて、時間は要領良く使う。ときには播種をコントロールして、1~2週間収穫のない時期を意図的につくって旅行へ出かけたりもします。要は休みたいときに休む。ハウス栽培があると、それも可能になるんです。」
自分の立てた計画通りに収穫までできたときは楽しいと語る永田さんにとって、たまの失敗や理不尽な天候も何のその。すべてをデータとして頭の中にインプットし、次なる糧とする永田さんの考え抜かれた取り組み方は、農業の明るい未来を予感させてくれました。

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