ぎふベジ


岐阜市園芸振興会 ぎふえだまめ部会北川 清典 会長のお話(2023年7月取材)

露地栽培のえだまめが7~8月、最盛期を迎えました。岐阜市鷺山地区で1町5反(=約14961.25㎡)の圃場を持つ北川清典さんも、毎朝の刈り取りと出荷作業で忙しい夏を送っています。北川さんのところでは『岐阜えだまめ』の他、『湯あがり娘』という品種も作っています。

「『湯あがり娘』はね、茶豆風味の品種です。ショ糖含量が多くて、一般的なえだまめに比べると甘さは倍。香りも風味もしっかりしとるわね。その分ちょっと単価が高いんやけどね。ハウスが終わって今は露地ものですが、一番美味しいタイミングで出荷するには待ったなしです。日光に当たりすぎると豆がぷくっと膨らみすぎてまうんやわ。莢(さや)の膨らみを見て、ちょっと早いかなぁというくらいがベストやわね。」

そう言って日に焼けた顔をニカッとほころばせる北川さん。鷺山地区で代々農家を営む家の11代目跡取りとして生まれ、27歳の頃から農業の道に入りました。

「高校卒業後、おふくろの兄弟がやっておった岐阜の繊維関連企業に勤めておりました。結婚は25歳のときです。家業に入ると決めて脱サラしましたが、家内は黙って付いてきてくれましたね。今でこそ枝豆ピッカーという自動で枝豆の莢を枝から外す機械がありますが、当時はもぎとりは手作業でしょう。両親と家内と4人でまぁ大変でしたわね。」

現在は毎朝、奥さんと息子さんと3人で刈り取りに出かけ、自宅の納屋でもぎとりから出荷までの作業をお嫁さんも加わり4人で行います。
「今年68歳になりますが、10年ほど前に軽い脳梗塞をやってしまって。そのときも納屋でえだまめを選別しながら、悪い房をちぎってはいつものように廃棄箱に投げておったんです。でも全然箱に届かへんもんで何かおかしいと。その違和感があくる日も続いたもんだから病院へ行ったら即入院で。もう両親とも他界しておりますが、その頃は親父が骨折で入院、おふくろも病気で入院でしたから、家内は本当に大変だったと思います。」

病いに倒れた過去を感じさせないほど、北川さんは元気でポジティブ。早期発見と地道なリハビリのもと仕事に復帰しましたが、今も右手に後遺症が残っているそう。
「今年で38歳になる息子が、そのとき会社勤めを辞めて家業に入ってくれました。僕が入院中というのもあって、相談も無しに決めちゃってね。びっくりしました。鷺山地区も都市計画が進んでおりますし、正直、僕の代で農業は終わりやと思っていましたから。嫁さんもよくウチに来てくれたなと思ってね。」

後継者不在の農家が多い中、若手就農者は農業の宝。北川さんの言葉の端々に奥さん、息子さん、お嫁さんへの感謝の気持ちがにじみ出ます。
「息子家族の分も稼がならんで徐々に圃場を広げております。仕事もよく覚えてくれるもんでね、多少なりとも僕も家内も楽ができます。僕としてはもっと仕事を増やして、法人化を見越した事業にしてもいいかなと考えておりますが、息子がまだその気じゃないもんで。とはいえ僕がいつまで手伝えるか保証はないから、やるんなら早いうちにお願いしたいもんですけど。」

そういって、ワハハと笑う北川さん。岐阜産のえだまめに抱く想いも熱く、7~8年前は1200tあった収穫量が現在650tしかないことを憂いています。

「なんとか750tまで収穫量を上げたいけど、量だけにこだわるわけにもいかんもんでね。僕は部会でいつでも言うんよね、『買う身になって、選果、選別お願いします』と。良いものでなければ売れませんから、自分に厳しく向き合っております」

腰痛を抱え満身創痍でえだまめづくりに取り組む北川さん。若き継承者とともに、岐阜のえだまめのさらなる発展に貢献します。

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