ぎふベジ


美濃山県にんにく振興協議会 美濃山県元気ファーム棚橋 武司 さんのお話(2020年6月取材)

「明智光秀の生誕の地」の伝承が残る山県市。里山が広がる伊自良地域では、平成20(2008)年から行政と市民がタッグを組んで始めた、にんにく栽培が大成功。にんにく『元気玉』が市を代表する農産物の一つになっています。その『元気玉』づくりに尽力してきたのが、美濃山県元気ファーム(以下、元気ファーム)の棚橋武司さんです。

「私は生まれも育ちも、山県・伊自良です。幼い頃の伊自良は今のように開けておらず、道路も狭くてこの元気ファームの辺りは藪(ルビ/やぶ)でした。伊自良川には堤防もなく、大雨が降るたび藪一帯が水浸しになっていたものです。水はけはよかったが痩せた土質で、それが農業従事者の悩みの種でした。農家を営んでいた親父はさつまいもづくりから始め、その後、周辺の方々と小さな組合をつくってスイカや桃を市場へ持ち込んでいたようです。」
そこで、昭和30年代に山県郡(当時)が灌漑用の貯水池造成を計画。昭和44(1970)年に伊自良湖が完成すると、稲作も盛んに行われるようになりました。
平成20(2008)年には、山県市産業振興課(現:農林畜産課)が特産物づくりプロジェクトを発足。美濃山県にんにく振興協議会が立ち上げられ、棚橋さんも当初より参加したのです。

「たまたま会社の近くに畑があり、農業経験のある私がやることになりました。ところが、にんにく栽培の知識も経験もありません。67歳で、ゼロからのスタートでした。 にんにく栽培には、合う土地、合わない土地があります。水はけが悪いといかん。要するに渇かなければいかんわけです。この辺りも農業離れが進んで休耕田がいくつもありましたが、やっていくうちにパラパラの土が適しているとわかりました。試行錯誤の中で出荷まで漕ぎ着けましたが、買い手がつかない。青森県産の六片のような知名度も無ければ、中国産のように単価が低いわけでもありませんから。」
そこで元気ファームは、にんにくの熟成加工にチャレンジ。研究熱心な棚橋さんは製造業時代に培った技術を生かし、収穫機や加工機械の発明もしました。完成品を『元気の源 黒にんにく』として販売すると、すぐに売り切れたそう。
「平成24(2012)年、山県市のにんにくが『元気玉』という商標登録を取りました。黒にんにくの知名度を上げることが山県の特産品を広める機会になりますから、作付面積を増やし有機肥料を用いて土づくりも勘考して。これならイケる!とようやく確証が得られ、それから補助金で機械化を進めて一気に量産体制をとりました。」
鳥獣被害にも悩まされながら、20アールから始めた畑も今では1.8ヘクタールまで拡張。元気ファームは生産だけでなく、加工、販売の六次産業化へと繋げ、幅広く活躍しています。
「後継者の育成が今の課題です。身体が動くうちはまだまだ頑張ります!」
御年80歳ながら、ガッツあふれる棚橋さん。にんにくパワーでこれからも良質な『元気玉』栽培に挑み続けます。

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