「農業は、だからオモシロい」〜新規就農者をたずねて〜國井 麻衣 さんのお話(2017年12月取材)
農業の後継者問題が深刻化する中、20代の若さで自ら農業の道へと進んだ國井麻衣さん。そんな麻衣さんに農業の魅力を聞きました。
1990年、岐阜市生まれ。花き(かき)農家を営む両親のもとで育ち、家業を継ぐべく岐阜農林高校から東京農業大学農学部に進学。卒業後は関東の種苗会社に一年勤務し、2014年より実家の花栽培に携わるも露地野菜に方向転換。2015年、新規就農者となり、現在5反(=5,000㎡)の畑で様々な作物を栽培している。
“夢は花づくり”だった女の子が一人前の農家になるまで
「物心ついたときから家業を継ごうと思っていました。花農家を営む父にくっついて市場へ行ったり、農業祭で花売りをするのが楽しくて! 小学校の卒業文集の『将来の夢』にも書いていたし、大学では研究室に入ってLEDでの花栽培に没頭していましたね。でもいざ社会に出てみると、同業者は売り先や経営についての話ばかり。それも大切なことだって頭では理解できるんですが、『これが私のやりたいこと?』ってモヤモヤするわけです。突き詰めたら、私が関わりたいのは、土に触れ、水を与えて肥料をやる“現場での栽培”そのもので。そう気づいたら祖父が営む野菜の方に目が向いて。そこからは花の栽培は母と姉に任せ、祖父のもとで農業を始めました」。
「ところが祖父が病気で急逝してしまって。一緒に畑ができたのは実質一年くらいでした。だから、具体的な技術を祖父から一切教わらないまま、農業をスタートさせました。頼みの綱は、農業を始めてから付けた日記のみ。『◎月△日にえだまめを植えた』とあれば、同日に同じ作業をしてみたり。でも『消毒散布』とか、自分で書いておきながら何の薬だかサッパリ分からない(笑)。誰かに聞くしかないけど、聞ける人もいなくて。何とか収穫まで漕ぎ着けましたが、できたのは虫食いだらけで。当然、そんなえだまめは農協も買い取ってもらえず、コンテナ2杯分を破棄しました。何のためにここまで育ててきたのかなって思いました」。
春、夏、秋は情熱と失望を繰り返し、その冬、初めて収穫の喜びを知った麻衣さん。それでもまだ収益を得るほどではなく、2年目も一進一退だったと振り返ります。「新規就農者を対象とした交付金*で種代や肥料代は補っていましたが、それが無かったらやっていけたかどうか。情熱云々というより、受け継いだものがあるし、虫が出たら捕って、調べて対策を練って…と、毎日やらなきゃいけないことを試行錯誤しながらひたすらやってきた感じです。3年目の今年、見るに見かねて隣の畑の人がトラクターの使い方から消毒の時期までいろんなことを教えてくれて。おかげでやっときれいなえだまめができました!」
1年目に成功したほうれんそう作りも、2年目はヒヨドリ被害という憂き目に…。葉ものは1枚でも傷が付くと商品価値がありません。結局、2反分の損害を被りましたが、そんな程度でひるんだりしないのが麻衣さんの良いところです。「自然を相手にしている限り、いろいろな失敗はつきもの。むしろ、研究でいえば失敗は糧になるんです。消毒を撒くタイミングや量が虫のつき具合にどう反映されるかとか、堆肥をどれくらい使うと日持ちの良い作物ができるだとか、全部データを記録して。試し続けることで、最終的には消費者に良いものが届けられると思うんです。それは、私にとってはまだ先のことかも知れませんが、野菜を育てる技術が上がれば、必然的に収穫量も増やすこともできます。TPP(環太平洋パートナーシップ)で世界各国から野菜が入ってくることになれば、差別化するにはもう味しかないですから、失敗して技術を楽しみながら、味や鮮度、日持ちにこだわった野菜づくりを目指したいです」。
*農業次世代人材投資資金(経営開始型)…就農予定時の年齢が原則45歳未満である等の交付要件を満たし、次世代を担う農業者となることについての強い意志を有している新規就農者に対し、農業を始めてから経営が安定するまでの最長5年間、前年の所得に応じて年間最大150万円が交付される。